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「築地市場」

「築地市場の歴史」
江戸時代から東京の食品流通を担ってきた日本橋魚河岸をはじめとする市場群が、1923年(大正12年)9月に起きた関東大震災で壊滅したのを受け、12月、隅田川や汐留駅といった水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地(築地居留地)の海軍省所有地を借り受けて臨時の東京市設魚市場を開設したのが、築地市場の始まりです。
そして1935年(昭和10年)、現在の位置(京橋区築地)に東京市中央卸売市場が開設されました。築地市場の扱う生鮮品の良さや食堂棟(魚がし横丁)のグルメがマスコミに頻繁に取り上げられるようになったことと、市場関係者以外の入場規制の解除を行い、観光客の誘致をする働きかけをしたことで、一般の見学客や購買客が大勢訪れるようになりました。
現在では東京の観光ガイド本はもちろん、外国人向けガイドブックにも築地が取り上げられ、日本の観光地の一つとなりました。
 <場所は、下の地図をご参照ください。>
築地市場の周辺図
築地場外市場の入口
築地四丁目の交差点
東京メトロ「築地駅」から来ると、さあー、ここから築地市場ですと・・迎えてくれる看板そこには活きの良い掛け声と、新鮮な魚介類が待っています。
築地市場の構内地図
市場内の道路は、ほとんどは歩道ではなく「通路」です。ターレット(運搬車)をはじめ、搬入車両、作業車等が通行します。大勢で横広がりで歩かず、安全に十分気をつけてください。
築地市場の正門入口
築地市場の正門通路
朝から行列ができる大人気の魚がし横丁
「魚がし横丁」は、
築地市場の中にあります。市場内では、プロの方も、一般の方も買物や飲食できる唯一のエリアです。
水産物市場の入口です
恐る恐る、水産物を扱う建物に入りました。誰かに怒られるのではないかと・・ひぁひぁでしたが、意外なほど皆さん、無関心なのでほっとしました。
それにしても、建物の中は広いですね。迷子にならないよう注意しないといけないですね!
水産物市場の中です
築地市場の近くには、「築地本願寺」「波除神社」があります。

築地本願寺
「築地本願寺」
築地本願寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、京都の西本願寺が本山です。創建時は、全国にある別院の「築地別院」として建立されました。
2012年4月1日、正式名称が「築地本願寺」と改められました。
築地本願寺

波除稲荷神社の入口
「波除神社」(なみよけじんじゃ)
徳川家綱の時に起こった明暦の大火(振袖火事)の後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事は難航しました。
その最中のある晩、光を放ち漂う御神体が見つかり、万治2年1659年、現在地に社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、厄除けの神様として信仰を集めました。
波除稲荷神社の縁起
波除神社の境内には御本殿以外にもいくつかの小さな神社があり、御本殿の神様以外に様々な神様がお祀りされています。
その中には七福神といわれる7柱の神様もお祭りされています。御本殿の次に大切な神社とされる「摂社(せっしゃ)」には弁財天様が、「末社」には大黒様恵比寿様が そして江戸時代より伝わる大獅子を納める獅子殿の神社には、毘沙門天・寿老人福禄寿・布袋尊がお祀りされております。
そして、神社にはそれぞれの神様の御神像が本殿に安置されております。(弁財天のみお歯黒獅子の角の中に安置されています)
波除稲荷神社の御本社
「御本社」
衣食住、殖産工業、商業の守り神である「倉稲魂命」(うがのみたまのみこと)波除様がお祀りされてます。
社殿は、伊勢神宮(外宮)と同じ唯一神明造で造られています。
波除稲荷神社の弁財天社
摂社「弁財天社」
学芸の才能と豊かな財を成す福徳の神「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)をお祀り俗に弁財天社と呼ばれ、中に収められている「お歯黒獅子」は、紅色の肌地にお歯黒を施し、金箔押しの巻き毛に頭の宝珠の中に弁財天・市杵島姫命の御神像が収められています。
波除稲荷神社の獅子殿
「獅子殿」
江戸時代、厄除・災難除の象徴として厄除天井大獅子様には、故実の通り、お参りの方が願い事を託した「願い串」を舌の上に収め念じると大獅子様が叶えて頂けると多くの方が参拝されます。
この願い串は、一年分を十二月第三土曜日に行われるお火焚祭でお焚き上げし、海に流されます。

見収めとなる築地市場の全景です。
築地市場の場内全景
隅田川と築地市場の風景
競り場や仲卸がある主な建物は、弧を描いています。これは国鉄東京市場駅が存在した事が大きな要因となっています。線路がこれらの建物に平行しており、これを利用した鮮魚貨物列車などが入線していました。
しかし、生鮮食品でも貨物運送が貨物列車からトラックに徐々に移行し、その影響で冷凍車や活魚車などの貨車や鮮魚貨物列車なども廃止され、駅も廃止されました。線路は、市場内外でも撤去されていますが、市場の青果門付近から朝日新聞東京本社の脇を通って旧汐留駅跡へと伸びる細い歩道が線路跡であり、その歩道には踏切の警報機が今も残されています。
1935年から2018年までの83年間使われた市場も2018年10月6日で営業を終了しました。

         -終わり-

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